かつてはT−3ネストとして名を馳せた航空自衛隊静浜基地。
それは、2007年3月7日をもって歴史の一ページとなってしまいました。


静浜基地の歴史が刻まれて以来、ここからレシプロエンジンの爆音が途切れることはありませんでした。
零戦、彗星、T−6、T−34、そしてT−3と、いつの時代もこの地にレシプロのラプソディを奏でていたのです。

しかし。
自衛隊に最後まで残った富士重工業T−3初等練習機も機齢により減勢が続き、
ジェット機である後継機のT−7初等練習機にその座を明け渡すことになりました。

2007年2月27日 をもって 静浜基地所属 第十一飛行教育団 T−3 はラストフライトを迎え 、
そして3月7日、 最後まで残った 81−5501 ,01−5533 の二機の T−3 は最後のご奉公を
するため、紺碧の青空のもと霊峰富士山に見守られて航空自衛隊岐阜基地へと旅立ちました。





垂直尾翼を純白に染め上げた二機のT−3.
やがて彼女たちにはパイロットが乗り込み、いつもの爆音を奏でます。

しかし、いつもと異なりその尾翼には富士山 マークはありませんでした。



彼女達はもう富士山に見守られたこの地には還ってきません。
少なくとも生きた翼としては.....
純白の尾翼はその決意の表れのようにも感じられました。


下四枚の写真提供:レッドスパロー様(http: //viperzero.fc2web.com/index.html)

※禁無断転載




いつものように、いつもそうしてきたように静浜基地のRW27にアラインし、エンジンランナップを行う二機のT−3.
ただ一点いつもと異なるのは、純白に染め上げたその尾翼.......

それこそが、このフライトの意味を静かに物語っています。



「・・・そうそう、エンジンランナップの吹かし方って独特なんだよね。
グォォォォン、グォォォォォォンって二回吹かすんだ。」

「・・・これを聴くのもラスト、なのか。」


いつしか両機のパイロットの目線が宙を交わり、
二機はしずしずとランウェイ上に機を進めていました。
静浜としては珍しく、両翼のランディングライトを輝かせて.....


そして......
聞きなれたライカミングエンジンの咆哮が、静浜の大地を震わせました。
見よこの力。340馬力レシプロエンジン!


大地を切った#501の翼下を富士山が横切ります。
今年は暖冬だったため、ここまで綺麗に富士山が見えた日は指折り数えられるほど。
きっと富士山もこの門出を見送ってくれているのでしょう。

二番機#533も#501に続いてリリースブレーキ。

どうしてこう良い感じに富士山が絡んでくれる のでしょう(笑)
ファイナルで富士山ショットが残せて、私として出来ることは全てやり遂げた気分になります。
そうです・・・よね。
マニアとしてやれるだけのことはやりましたよね。

私は果たしてそれで納得できるでしょうか、分かりません。



T−3はクローズパターンを周回し、再び静浜基地上空に姿を見せました。
翼を左右に傾けるのは、飛行機野郎様のgoodbyeの挨拶です。



#533もウイングウォークを行いに戻ってきました。
これが正真正銘、静浜におけるT−3のファイナルフライトとなります。


・・・・。

・・・・・・・。

・・・・・・・・・。





二機のT−3はライカミングエンジンの余韻を残し、南へと去っていきました。



静浜の傍に生まれなかったら。
T−3が飛んでいなかったら。
ライカミングエンジンの咆哮に惚れなければ。

私が飛行機マニアになることは決してなかったでしょう。
その意味では、T−3こそ私の原点であり人生の柱でありました。

ありがとうT−3.
そしてさようなら。



私には私なりの、
そして、T−3に育てられたパイロットにはパイロット一人一人の。
後席に座って愛の鞭を呉れていた教官にはその教官なりの。
安全な運用を支えた管制官にはタワーから眺めた機影が。
そして、最後まで自分の分身のように整備にあたった整備員にはその方なりの。
心の中のT−3があるでしょう。

そして
そのT−3がいつまでも飛び続けているよう、いちマニアとして心よりお願い申し上げます。
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